制作日記~Kaoru Mizuki

2017 09
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「オーフィアス組曲」
音楽と文章からなる作品「オーフィアス組曲」を制作中です。キャラクター(動物たち)が現実と幻想の世界(生と死)を行き来します。キャラクターを通して、生きることの意味を追求するストーリーです。

生きることに意味はあるのでしょうか?みなさんはどうお考えになるでしょう?生きることに意味づけする必要があるかどうかは、私にはわかりません。

人の思いとは別に、自然は采配をふるい、喜びや悲しみをつれてくる。不条理な結果であっても、条理につながることすらある。人にとっては畏怖であっても、自然にとっては無為なること。生きとし生けるもの全ては、自然の流れにそっている。

このように無力で、無知なる存在のひとつが、われわれ人間であるのです。

登場するキャラクターは全て動物です。擬人化されております。擬人化の意味がわからないと以前ご質問を受けたことがありますが、それは2009年に亡くなったあるぬいぐるみ作家の存在があります。彼女、故宮島登志子さんは才能溢れる作家で、これから独自の作品を作ろうとなさっていた矢先に、53歳の若さで亡くなりました。彼女が若いときに制作したうさぎたち、また、死の直前、水のみで生き、痛み止めを打ちながら作った猫たち。彼、彼女らに息を吹き込み、生き物にすることで、亡くなった登志子さんの思いをつないでいけたらと、思いました。

彼女が亡くなる二ヶ月前、お電話で一度だけお話しました。「私はもう長くはありません。猫さんはいりませんか?生みの親より育ての親と言いますから。」などと話されたことをよく覚えています。

私は育ての親なのですから、彼、彼女たちを世に出す手はずを整えなければならないと思っていました。しかし、意気込みとはうらはらに、時間だけが経っていきました。(作品作りを始めたのが2010年、一旦ゼロに戻したのが、2013年。)

2013年暮れには音楽主流、文章主流の2シーンに分け、音楽主流の部分では不必要な説明を省き、聴く人の想像力にゆだねるように展開しつつありました。2014年5月下旬より、いよいよ本格的に曲作りに入りました。当初は打ち込みを多く使う予定でしたが、ピアノを主体とすることにしました。

2015年7月。一番の大作、オーフィアスバリエーションのスケッチが終了し、仕上げの段階に入りました。

2015年暮れには、オーフィアスバリエーションの後半1/3を仕上げ、2016年1月には、2011年に作曲したピアノとポエトリーリーディングのための「Addictus」を一部修正し、完成。2016年3月中旬現在、オーフィアスバリエーションの頭から、残り全ての仕上げに入っています。.

2017年6月、さまざまな事柄が落ち着き、ようやくゆったりとした時間がとれるようになりました。今後は、年内目指して、走ります。

ここには、6年以上も訪れ続けてくださっている方もいて、感謝しております。できることなら今後も懲りずに見守っていただければと、思っております。どうぞよろしくお願いします。















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 オーフィアス組曲 コメント(0)
序奏とアレグロ
Ravelの名曲、序奏とアレグロを聴きました。出回っている楽譜と初版には、違いのある部分が多いというお話があり、注釈つきの楽譜を買うことにしました。

この楽曲は、初版を買ったほうがいいと思える曲です。

冒頭では、B♭を中心として動きだします。 強調されている音も(クライマックスやフォルテになる部分)B♭、 途中で転調し(何度か上げ下げする)展開され、蝶のように舞い、最後はB♭で終わる。音を点とするならば、点があちこちに動くということではないかと、感じました。

調性は理屈の上ではGes-durですが、窮屈ではありません。型から逃れようとしては、B♭がどこかで鳴っています。つまりGes-durから、逃げようとしても、B♭が追っかけてくる様相です。

(youtubeを徘徊しておりまして、伊福部先生の曲を聴くことになり、先生はRavelの影響を直接的に受けているのではないかなぁ???と思った次第です。曲調は全然違いますが、根底には同じものを感じた次第です。ただ、一個人の印象なので、間違っているかもしれません。)

それはともかくとして・・・

音そのものが初版と違う箇所があるかもしれません。上記のような曲の進め方(一つの音を中心とした展開)ならば、ホンモノを見た方が良いと思った次第です。私は謎解きが好きなものでして・・・「なぜここにこーいう音が置かれているのか」と、ときたま不思議になったときの、解決方法として、初版は必要だと思いました。

それはおいといて、ハープの奏法の多様性や音色の変化による気づきを得るには、大変良い楽曲だと思います。依頼されたのが、ハープメーカーであることや、ハープの進化には、この曲があったといっても過言ではないことも理由の一つです。


昔はそうも感じなかったのですが・・・考え込んで作ってはいないですね?この曲。水彩画をサラッと描くように、書いたように感じました。どんなジャンルでも、努力の結晶ではすごいものにはならない部分もあるようです。大胆さも必要。努力することも才能の一つですが、その前に本質的なもの(生まれつきの感覚)が必要。

時を見極める能力もその一つなんでしょうな・・・難しいですね。

凡才の私は、今後1曲はハープ中心の楽曲を作りますので、古典から現代に至るまで、ハープの曲をアサッています。加えて、ピアノデュオの曲に力を入れます。こちらも今、先人の曲、現代作曲家の曲を拝聴しております。



序奏とアレグロ





 楽曲分析と演奏 コメント(0)
ミニコンサート
2018年より、ピアノをメインとしたミニコンサートを計画しています。ピアノは私が弾きます。(後々、笛の曲、ポエトリーリーディングも加えたいとは思っていますが未定です。)オーフィアス組曲も楽曲がだいぶ出来上がってまいりましたので、少しづつ世に出していこうと思っています。

ただ、自主制作なので皆さんにとっては未知の曲ばかり。未知の曲ばかり羅列しても、あくびが出る方も多数おられるかと思いますので、古今東西の名曲も織り交ぜます。(私がアレンジした楽曲、スタンダードな楽曲を加える予定です。)

普通のコンサートは、立派なホールを借り、大勢の人を寄せ集めて、お金もかけてというものでしょう。私の場合は、こういった経験がゼロとはいいませんが少ないので、小規模な「集まり」といいましょうか?内輪の会といった形にして、何度か繰り返していこうと思います。

コンサート以外では、サウンドクラウド、youtubeにアップという形をとります。実はこれさえも、ほとんど遊び程度にしかやったことがなく、ネットを活用できていません。ネットはあまり当てにならないと思い込んでいたフシもあります。

オーフィアスには台本があります。台本も大きな意味をもっていますので、ミニコンサートの時には、お話を加えながら、展開していきたいと思います。このような催しを計画したのは、自主制作だと締め切りがありませんので、のんびりしすぎてしまうことを戒める意味もあります。

仕事やコンクールでは締め切りがありますので、やらざるを得なくなりますよね?そういう意味でも、コンクールに参加することは、悪いとは絶対に言えないです。賞金がもらえるだけではなく、実際の演奏を無料で聴けるとは素晴らしい!、勉強には不可欠だと思います。いくつになっても、どんどんやっていくべきだと思います。

今の私は、作品をコンクールに出すことは考えておりませんが、別の方法で動くことは決めています。そのための、第一段階としてコンサートをすることにしました。場所や曲目が決まり次第、一応お知らせします。

 ピアノ コメント(0)
チャンスをつかむこと
チャンスをつかむことが世に出るには必要です。同時に誰にでもチャンスは与えられていると思います。しかし、うまくいかすには、それをつかむか、つかまないかにかかっていますね。

少し前まで手がけていた西洋占術では、そのチャンスがいつ頃訪れるものか?とチャートを分析するわけです。全てが的中するわけではないですが、私の場合は、9割がた現実となっております。

チャンスを生かすには、待つことも大切ですが、ご自身に応じた環境へと、移動していくことも必要だと感じる今日この頃です。

ここのところ、若い作曲家、世界的に有名な、酒井健治氏の文章やインタビューを読んだり、曲を拝聴しておりますが、素晴らしいです!本当にしっかりしておられますし、作曲技法も自由闊達です。本当に好きでやっておられるのがわかりますが、好きだけではなく、ビジネスにするにはどう展開すればよいのか、考えて動いておられたのだなぁと思います。

やはり、ヨーロッパで修行されたのが良かったのだと思います。これがアメリカであれば、また違う方向になっていたと思います。

土地や人との出会いは侮れないものもありますね。また、良いものをもっていても、積極性がなければ何一つモノにはなりませんね。才能がある方なので、誰しも酒井さんのようになれるわけではありませんが、年寄りの私にまで、刺激を与えてくださったので、触れてみました。

曲は、エリザベートコンクールの優勝曲を聴かせていただきました。私の思い過ごしかもしれませんが・・・コンクールを意識した曲だなぁと感じました。みなさんも、youtubeで探して聴いてみてください。

 その他 コメント(0)
ラモーと音楽の本質について
最近、ラモーの作品を毎日のように聴いています。オペラや声楽曲が主流ですが、器楽曲もなかなか興味深いです。ラモーはバッハと同時代の作家ですが、バッハよりも柔軟だと感じます。

オペラでは、優雅なインドの国々がよく聴かれています。なかでも 未開人の踊りは楽しいです。色々な振り付けがありますが、私は下記の「リズムの揺れ」が気に入りました。


この踊り、曲との絡み具合が、理屈抜きに面白いと思います。曲には、このような肩の力をぬける部分が必要なのだと感じました。理屈を超えての演奏や楽曲は、荒削りであっても、人の心を打ちます。

この踊りをみていて、自作品のオープニングはピアノソロで、即興性を交えて、思い切りぶつけてみたいと考えてみます。最近人の作品をよく聴いていますが、最後は自分の持っているものに帰っていくと思います。

名前こそ出しませんが・・・器楽曲が歌謡風なのです。懐かしい気持ちになるような、どこか大陸的な曲調だと私は感じるのですが、ご本人はご自身の良いところに気づいておられないようです。無理に今の時代に合わせるより、持ち味を生かす方が良いと思います。

生まれ持ったものは変わりません。これを本質というのです・・・最後はこちらに戻っていきます。もっていないものを追求して、ねじまげるより、ご自身の良いところを生かせる分野に進むといいと強く思いましたが・・・一度もお会いしたことのない方に忠告めいたことを話しても、迷惑になるわけですので、こちらにこっそりと書いておきます。

歌や合唱を書いていくと重宝されると思います。性格も、このような分野に向いていると思います。人間の根底にあるものが創作の本質を支えていると思います。ご自身の心に問うてみてくださいませ。

ラモーに話を戻します。他にもおもしろく、エネルギッシュな楽曲はたくさんあります。下記の「めんどり」という曲もおもしろいです。左手の音域が、にわとりそのものといった響きがしませんか?





優雅なインドの国々から〜未開人の踊り
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