制作日記~Kaoru Mizuki

2017 11
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「オーフィアス組曲」
音楽と文章からなる作品「オーフィアス組曲」を制作中です。キャラクター(動物たち)が現実と幻想の世界(生と死)を行き来します。キャラクターを通して、生きることの意味を追求するストーリーです。

生きることに意味はあるのでしょうか?みなさんはどうお考えになるでしょう?生きることに意味づけする必要があるかどうかは、私にはわかりません。

人の思いとは別に、自然は采配をふるい、喜びや悲しみをつれてくる。不条理な結果であっても、条理につながることすらある。人にとっては畏怖であっても、自然にとっては無為なること。生きとし生けるもの全ては、自然の流れにそっている。

このように無力で、無知なる存在のひとつが、われわれ人間であるのです。

登場するキャラクターは全て動物です。擬人化されております。擬人化の意味がわからないと以前ご質問を受けたことがありますが、それは2009年に亡くなったあるぬいぐるみ作家の存在があります。彼女、故宮島登志子さんは才能溢れる作家で、これから独自の作品を作ろうとなさっていた矢先に、53歳の若さで亡くなりました。彼女が若いときに制作したうさぎたち、また、死の直前、水のみで生き、痛み止めを打ちながら作った猫たち。彼、彼女らに息を吹き込み、生き物にすることで、亡くなった登志子さんの思いをつないでいけたらと、思いました。

彼女が亡くなる二ヶ月前、お電話で一度だけお話しました。「私はもう長くはありません。猫さんはいりませんか?生みの親より育ての親と言いますから。」などと話されたことをよく覚えています。

私は育ての親なのですから、彼、彼女たちを世に出す手はずを整えなければならないと思っていました。しかし、意気込みとはうらはらに、時間だけが経っていきました。(作品作りを始めたのが2010年、一旦ゼロに戻したのが、2013年。)

2013年暮れには音楽主流、文章主流の2シーンに分け、音楽主流の部分では不必要な説明を省き、聴く人の想像力にゆだねるように展開しつつありました。2014年5月下旬より、いよいよ本格的に曲作りに入りました。当初は打ち込みを多く使う予定でしたが、ピアノを主体とすることにしました。

2015年7月。一番の大作、オーフィアスバリエーションのスケッチが終了し、仕上げの段階に入りました。

2015年暮れには、オーフィアスバリエーションの後半1/3を仕上げ、2016年1月には、2011年に作曲したピアノとポエトリーリーディングのための「Addictus」を一部修正し、完成。2016年3月中旬現在、オーフィアスバリエーションの頭から、残り全ての仕上げに入っています。.

2017年6月、さまざまな事柄が落ち着き、ようやくゆったりとした時間がとれるようになりました。今後は、年内目指して、走ります。

ここには、6年以上も訪れ続けてくださっている方もいて、感謝しております。できることなら今後も懲りずに見守っていただければと、思っております。どうぞよろしくお願いします。















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オーフィアス組曲のキャラクター紹介
オーフィアス組曲のキャラクター紹介 が完成しました。

キャラクターの後ろに星座名が記されています。これはキャラクターの性格=星座の特徴です。水瓶座ならば、我が道をゆくとか、神さまみたい。乙女座ならば、職人技がすごい(専門技術の習得に長けている)。獅子座ならば、獅子のように他者を引き連れて歩くとか?自己主張が強くロマンティストであるなど・・・

会話部分のバックには、星座にちなんだピアノ曲を入れようと思っています。初見で弾けるような易しい曲をと考えております。

以前からピアノ曲の仕事がしたかったのですが、ほとんど機会に恵まれませんでした。某出版社でも、ピアノ曲集は売り上げが上がらないという理由で、却下。仕方なく望まないジャンルを書いたという経緯がございます。

そんなわけで、楽譜を出版する機会が出てきましたら、(簡単でないことは1000も承知です)星座にちなんだピアノ曲集を作りたいです。今は、譜面にしても自主制作の時代なので、もっとちゃんとしたルートが出てきましたら、やってみたいですが・・・しかし・・・

こちらは今の時代、音源を作るより、ハードルが高すぎるほど高いと覚悟しております。

現実に根ざして、一歩づつ、地に足をつけて進めていきたいと考えています。





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クラシック
作曲のスピードを速めることにしました。ある催しに参加するための楽曲作りです。これはオーフィアス中の楽曲ですが、今はまだ形にしておりません。もう少し考えて、今書いている部分が一段落したら、来年頭くらいからかかりはじめます。

そのために、人様の曲をあれやこれやと聴いておりました。ちなみに私の耳はそう、鈍ってはいないと思っているのです。ただし、このようなところに書く場合は、表現方法を変えますので、案外違う風に伝わっているかもしれませんね。ここを見た方が、同じ楽曲を聴いてみて、判断なされば良いことだと思っています。

昨日は、ある現代作曲家の作品を拝聴させていただきました。この方の器楽曲を聴くのは初めてです。ピアノコンチェルトや、ピアノ曲、連弾曲などを拝聴しました。

連弾曲は、騒がしい曲が多く、元々ピアノのために作られたものではないのでは?と思ったら、やはりそうでした。次に、ピアノソロ(現代作品といわれる)を何曲か拝聴いたしました。ピアノソロは、無機質な感じがしました。

×ということはないのですが、何か違和感を感じました。
私の感覚では・・・自分にはないと感じられたのです。加えて、粘りというものがないので、長く聴いていられないのです。以前に記しましたサーリアホさんと歳は変わらないのに、受ける印象が全く違います。


全体を通して、長い曲は最後まで聴く勇気が出ませんでしたが、比較的短い曲は、感覚的にも受け付けやすかったです。

次にピアノコンチェルトを聴いてみました。1楽章はやはり無機質で、フィーリングが合わなかったです。でも2楽章はピアノの響きと鍵盤打楽器が溶け合ってまして、良い感じだと思いましたし、何が言いたいかわかりました。3楽章は聴く勇気がもてなかったです。

2楽章が良い感じだといっても、愛聴したいか?と問われれば、NOなのです。現代作品だからとか、無調性だから聴きにくいという意味ではありません。純粋に二回聴きたいと思えるような中毒性がないんです。これがいいのかもしれませんけれどね・・・人によっては。きっと性格もさらりとした癖のないかたなんだろうな?と勝手に思いました。

でも・・・私がしばらく音楽から離れていたために、耳が鈍ってしまったのかと思い、作曲家として高い水準(世界的水準)にある人々の、批評を拝見しました。また、一般の方で、この作曲家の作品を生で聴いた方の批評も拝見したところ、私の受けた感覚と同様でした。→特に作曲家の方は、鋭い言葉を投げつけておられましたが、ここには書きません。

私は、数十年前の大学の提出作品のような感じを受けました。その時とほとんど変わっていないような印象です。現代音楽とはこういうものですよ、という感覚です。この感覚が一般の多くの人には合うのかもしれません。しかし、音楽以外でも、クリエイティブな仕事をしている人は、ジャンルは違えども、今という時間の感覚からかけはなれているように感じられるのかもしれません。

みなさん、かなり正直な気持ちを書いておられました。

80代でも現代的な印象を受ける方もいますので、年ではなく、心の持ちようや、いかに新しい風に触れるかということが、大切なのだと感じました。私も、いつも新鮮でいるために、常に刺激を受ける必要があると、肝に命じました。それは積極的に、多くのジャンルを耳に入れるということなのでしょうね。これじゃなければダメ!というのが最も危険だと思いました。

全体を通して、全てがセピア色の感覚で押し通しているので違和感を感じたのかもしれません。古いことを愛する方、音楽をお勉強と捉える方にとっては、合うのかもしれません。

ちなみに私は音楽はお勉強だとは全く思っておりませんので、考えが違う方だと根底から合わないことを思い知りました。ようやく合点がいきました。>さまざまな面で。 過去の苦難(教育用作品で辛い思いをしたこと)も根底から感覚が違うことと、時間のずれからきていたんだなぁ・・・と気づかされました。何か心が晴れたような気持ちです。

今になって、誰が悪いということもなく、もっているものの違いから生じたことだと強く思いました。表向き、音楽活動から離れて、7年ほど(内密にすすめていましたが)経ちましたが、ようやく見えてきたものがあります。次に書く曲は、多少は自信を持って書いていいのではないか?と思い始めました。

微笑をもって生活できるかもしれません。

 楽曲分析と演奏 コメント(0)
言葉より音楽中心
冬の旅CDを買いました。>マティアスゲルデさんとエッシェンバッハさんのです

この楽曲だけではなく、芸術的歌曲は歌詞にとらわれない楽曲がほとんどです。このように書けば、必ず誤解をする方がでてきます。が、しかしおそらくここを訪れてくださる方々は、何らかの形で専門的教育を受けたり、独学で勉強なさっている方々がほとんどだと思いますので、説明する必要もないと思いますが。

何か問題が起きる前に、一応講釈をたれますと・・・

歌詞を無視するということではありません。歌詞に引きずられるのではなく、音楽が言葉以上の役割を果たすという意味です。私もこのようなスタンスには賛成していますし、かつて作曲の修行をしていた時にも上記のように習いました・・しかし、教育用作品やpopsなどは歌詞を重視する人もいますね。

とりあえず私はそちらを手がけることはありませんので、関係ないとして。

冬の旅・・恋愛ではなく、生への執着でしょうか?死神があちこちに顔を出す雰囲気ですね。シューベルトは、「死」を意識して書いた人だったのでしょう。魔王にしても、ピアノの伴奏が、死神の足音のように響きます。

冬の旅の1曲目「おやすみ」も死の時がやってくる、というふうに私は感じました。最終曲の「辻音楽師」には、無を感じました。

この曲集は歌い手がこねくりまわすんじゃなくて、淡々と歌っていくことにより、曲の本質に迫ることができるのだと思っています。私は冬の旅の音源はもっておりませんでしたが、演奏会に行けなかったことをきっかけとして、じっくり聴いてみることにしたのです。

さて・・・自作品、オーフィアスバリエーションは。Var.2にハープをいれました。最初は入れる予定ではなかったのですが、地上の演奏に対して、天空が応えるという設定にしましたので、ハープによるつなぎがあったほうが神秘的ではないかと感じた次第です。

父が亡くなる前から、プライベートでばたばたしていたせいか、ロクなものが書けませんでした。今はようやく、まともな表現ができるようになってきたと感じています。やはり、時期というものはあると思います。

みなさまもうまくいかないとしたら、少しお休みすることが良いでしょう。その時期がくれば、物事は必ず成就するものです。葛藤に苛まれるでしょうが、悪いことではありません。悩み尽くして、諦めた時に、あなたに向いた方向に、転換できます。

上記のようなことを、大金を払ってセミナーなどで体得しようとは思わないほうがいいです!人に教わったことは忘れます!悩みぬくことにより、自分なりの方法がみつかります。まやかしのスピリチュアルに投資して人生を棒にふるより、美味しいものを食べ、優れた芸術に触れることで、悩みは解決していきます。

冬の旅なんて、人生そのものです。一聴の価値はありますよ。









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シューベルト「冬の旅」
昨日は、マティアスゲルネさんと、エッシェンバッハさんの「冬の旅」の演奏を楽しみにしていたのですが・・・エッシェンバッハさんの指の不調で、急遽ピアニスト交代となりました。私は少なからず、ショックを受けた次第です。なにしろ、何ヶ月も前からチケットを買って、楽しみにしていたんです。

チケットは払い戻しすることにしました。代わりに同じ演奏者のCDを購入いたします。

「冬の旅」ですがシューベルトの歌曲の中で、私の一番のお気に入りです。以前は音楽の教科書にも掲載されていたと思います。今は、ないかもしれませんね。何しろ、アートに触れることは、指導者でさえも苦痛のようですよ。まがい物で十分という価値観、そして、社会主義的な曲がまかりとおっているようでございます。

日本は社会主義の国なので仕方がありませんが・・・私は黙って抵抗しておりましたね。今はもう教育用楽曲は作りませんから良いですが。

シューベルトのこと。日本では片隅においやられているように感じます。でも私は、現代に通じる匂いをかぎとっております。シューベルトの楽曲、全てを聴いたわけではありませんが・・・一部でもそう感じます。

今後はもっと深く聴いてみようと思います。>全曲


ところで・・・創作の話。一生続けていきたいなぁと思うようになりました。そのためにも時間を大切にし、無用なおつきあいはしないことにしました。以前とは違い、自分を最も大切にしたいと考えるようになったのです。このへんが、最近曲を書いていて変化したことでしょうか?

仕事だけに特化していたときと比べて、考え方は変わりました。父が亡くなってから、特に変化したと思います。父には感謝の意味でも、きちんとした演奏会や録音などをしなければならないと肝に命じております。

話は前後しますが、冬の旅についてはまた改めて書きます。毎日聴いていいぐらい好きな曲ですので・・・








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