制作日記~Kaoru Mizuki

2018 07
06 ← 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 → 08
〜続トロイメライ〜
前回の記事の続きです。譜面がありませんでしたので、理解不能の方もおられたことでしょう。

ある方が、この曲はC-Fで統一されていると分析されておりました。それはそれで正しいと思いますが、狭いみかたであると感じます。

アウフタクトのCからFに歌いかけられ、低音域のFから1度の和声へとつながります。このこだまのような響が全体を統一しているのではないでしょうか?

2barsでは、右手の1拍目裏から2拍目面に、Fの音が連なる。これも重要な要素です。この要素が3barsでは左手につなげられます。→C-Cの八分音符 しかも右手の高い音域では、gabd fgacと同じモチーフが連なる。(言い換えているのですね?)

上記の動機をシンプルに広げてゆき、現実と幻想の世界を行きつ戻りつするのです。

中間部分、譜面データの1:11秒くらいから模倣されている音型は、天から降りてきたはしごのような印象もうけます。夢の世界で遊びながら、現実の世界に戻されそうになる・・・

確かにC-Fがあちこちにでてきていますが、それだけで分析を終えていいものでしょうか?響きや音価、曲調にまで触れることが絶対に必要なのだと思いますよ!

youtubeにホロビッツの演奏がアップされていました。私の感覚と合う演奏だったので貼り付けておきます。
ついでに、譜面もどうぞ。

↓ ↓譜面データ 全く曲調を無視した音楽なので、音符だけひろってみてください



↓ ↓ホロビッツ 「トロイメライ」







スポンサーサイト
 楽曲分析と演奏 コメント(0)
ひらめきと直感
ひらめきと直感とは、全く違うことを表していると知りました。最近亡くなられたホーキンス氏、京大の山中先生などの記事を見ていたところ、ひらめきと直感によって偉業を成し遂げたと、書かれていました。

調べましたところ、ひらめき=顕在意識、直感=潜在意識であるそうです。顕在意識とは目に見えたこと、潜在意識とは目に見えない部分(普段は意識していない)を表しています。

たとえば、1 3 □ 7 9と数が並んでいて、□に入るのは何?という質問があった場合、5という答えが導きだされます。理由は「奇数が順番に並んでいる」からです。このように理屈で説明がつくことを顕在意識とよびます。学習していれば、判断ができることでもあります。

一方、潜在意識とは自分でも説明がつかないけれど、なんとなく浮かび上がってくる事実を指します。この無意識の領域を活性化するためには、長年にわたる修練が必要になるようです。そうでなければ、優れた直感力を発揮することはできない。

将棋、囲碁、スポーツ、科学、そして音楽においても、直感力を鍛えることが最も大切であると思います。前回の記事に記しました、楽曲分析においても、同様です。分析の方法をみて、その方がどんな曲を書いているか、予測できるのではないかと考えております。

外側と内側からのアプローチが組み合わさって、はじめて、曲がわかると言えるのでしょう。そこまで到達するには、
「体験の積み重ね」が必要です。ものの本を読んだだけでは、わかったことにはなりません・・・体験の積み重ねによって、内側が開かれ、他者のことが(音楽ならば曲や演奏)本当の意味で理解できるようになるのでしょう。

前回の記事。トロイメライの分析をされていましたので、読んでみましたが・・・確かにC-Fの組み合わせが中心となっています。しかし、低音域では、F-Cという音の組みあわせが、こだまのように響きます。この組みあわせの上で、メロディが展開されていきます。

頭でFの音が2オクターブ下で重なり、次の和声ではC&Fが1オクターブ下で響く。

C-F F-Cの暗示が、中間部分では別のメロディとなって姿を変え、幻想の世界に奥深く誘い込むように、発展させていく部分もあります。譜例をはっておりませんので、理解し難いものがあるでしょうが・・・

独自の分析をすることができれば、自然と面白い創作ができたり、演奏も変化してくるのではないかと睨んでおります。
音楽だけではなく、考え方も変化していくのではないでしょうか?

次回からは、譜例入りで分析してみます。




 楽曲分析と演奏 コメント(0)
他者の楽曲分析
少し前からアマゾンで知った作曲家のblogをみています。blogのテーマは、クラシックの真実は大作曲家の「自筆譜」にあり-バッハ、ショパンの自筆譜をアナリーゼすれば、曲の構造、演奏法までも分かる というもの。

数年前に、blogの書籍化が行われたようですね。アマゾンでは、多くの方が感想を書いておられました。私も、blogに伺って、全てではないですが読んでみました。

分析については、私とはみる観点が違いました。わかりやすくいえば、前回に記した、カルロスクライバー 氏とは全く逆であると感じました。わからない方は、クライバー氏の演奏(特におすすめするならば、トリスタンとイゾルデ それから ブラームスのシンフォニーの4番 ですね。他にもたくさん良い演奏を残しています。)を聴いてみてください。

他に、全く逆の指揮者で、わかりやすい方。ベニズエラのドゥダメル氏をあげておきます。

ときどき思うことがあります。たとえば、シューマンのトロイメライ。シューマンはモティーフを埋め込むように、作曲したのか?ということです。バッハを研究し尽くして、ああでもないこうでもないと、操作していったのでしょうか?

ワーグナーのトリスタン。どこかで読んだことがあるのですが、ワーグナーは理屈で書いたものではないそうです。
あの半音階的進行や、エンハーモニック転調は、ワーグナーの心の奥底からわきあがってきたのものだと思います。

私は、(私だけかもしれませんが...)良い曲というのは、理屈ばかりで書けるものではないと思っています!技術や理屈も必要ですけれど、それが表に出てくるようでは、未熟なのではないか?と思うのです。

演奏と創作とは違います。何も知らなくても、良い演奏をする人はたくさんいます。ピアニストのアルゲリッチなぞは、転調なんか全くわからないと、いうことでした。(私は好きな演奏家ではありませんけれど、多くの人の心を揺らせているという点で、名演奏家だと思います。)

きっと生まれつきの何かがあるのでしょうね?

あまりにアカデミックすぎても、人の心に響かないんです。→クライバー 氏がリハーサルの時に似たようなことを語っておられました。

私も同様の意見ですので、冒頭の作曲家の方とは相容れない部分はあると思います。しかし、この方の良いところは、主張を曲げず、堂々と意見を書いておられるところです。誰がなんと言おうと、自分を信じて発信しておられるところです。加えて、素晴らしい演奏家に、自作を演奏してもらっているところですね。

「演奏させてください」と頼まれたとしても、ご自身の感覚や完成度に合わない人ならば、お断りになるような方ではないか?と推測いたしました。

そういう意味で、非常に刺激を受けました。自分の作品は自分の思うレベルの演奏家、もしくは全て自分で責任をとらなければ、良いものはできてこないと強く思いました。

このことに気づかせていただけて、良かったと思いました。
 楽曲分析と演奏 コメント(0)
メシアン「20のまなざし」オペラシティ
6日、楽しみにしていた「20のまなざし」(メシアン)を、エマール氏のピアノで聴いてきました。エマール氏の演奏はだいぶ前に、CDで聴いていましたが、人間シーケンサーといえるような精緻なものでした。そのときに買い求めたCDの印象とは、だいぶ違っており、ダイナミックに変貌を遂げておりました。

ちなみにメシアン氏は、私が学生の頃、芸大にいらしたことがありました。その頃は最も注目されていた作曲家で、「わが音楽語法」という本も、売店にたくさん並んでいたほどでした。

20のまなざしも、その当時はやっていまして、譜面を買い求めましたが、その譜面が今は何処かに消えてしまい、これを機に、買い直そうと思っています。ただ、その当時の私は「20のまなざし」は好きではなかったです。独特の色合いに、拒否反応を示しておりました。

また、音楽を学問として位置付ける考えが嫌いで、(今でも同じです!!)拒否反応を示し続けた時期でして・・・現代作品からは遠ざかるべく、皆さんとも話そうとは思いませんでした。この分野を手掛けていれば、人生を棒にふるのではないか?とも考えていました。要するに、皆さんとは価値観が違ったわけです。

さて、今回の演奏と曲、私は雷に打たれたような衝撃を受けました。特に後半、65分間は、前半の50分より、短いと感じられるほどの充実ぶりでした。最後の方で、弦が切れるアクシデントがありましたが、モノともせず・・・18 20 曲目などは、訴えかけられるものが大きかったです。

私、初めてこの曲の魅力がわかりました。曲と演奏を通じて、信じることの強さを感じました。私は宗教は嫌いだったのですが、西洋占術の師が神学に詳しく、(出身大学に神学の授業があったそうです)多少なりとも影響を受けたせいか、この曲の根底にあるものも少しは理解できるようになったのかもしれません。

メシアンの人生=自然との調和だったのではないかとも考えています。そういう面で、昔の自分とは相容れなかったのでしょう。しかし、オーフィアスを創作するために、様々な勉強をしたことで、彼の根底にあるものを1%程度つかめるようになったかもしれません。

それでも99%は、血が違うと感じました。お手上げ状態といいましょうか・・・彼は別格なんだと思いました。とても太刀打ちできないということもあり、雷に打たれたようになったんです。

メシアン氏の母は、メシアンを身ごもったときに、「この子は音楽家になる」と預言したのか?天からの声を受けとったか?ということ、どこかで見た覚えがあります。ちなみに、メシアン氏は射手座です。射手座=宗教、哲学のサインです。

上に記したことが、本当だと感じられるような、激しい祈りのような演奏でした。今でも感激が冷めやらないほどです。

会場の件。現代曲の割には、お客さんは多かったと思います。普通の現代音楽の演奏会だと、ガラガラで、リラックスできるのですが、狭くて窮屈でした。CDもたくさん売れたと思いますよ。サイン会の列が長かったです。私もCDを入手しようと思いましたが、あまりにも人が多く、諦めて帰りました。>昨日売っていたものは、すでに完売らしいので、一縷の望みを託して、探してもらっています。

老若男女、大勢の方がスタンディングオベーションでした。あれだけの大曲を、弾ききることは普通はできません。多くのピアニストによって演奏されている楽曲ですが、リサイタルで全曲というのはあまりないこと。しかも、メシアンのおおらかで自由度の高い思想が、反映されていたと思います。同時に、信じることの強さが、ダイナミックな打鍵を通して伝わってきました。

私も時間に縛られず、感動に身をまかせる時間こそ必要なのだと感じました。今まであまりにも、雑用が多すぎました。

この演奏会は、天からのプレゼントだと思い、また一歩づつ歩みを進めていきます。








 楽曲分析と演奏 コメント(0)
クラシック
作曲のスピードを速めることにしました。ある催しに参加するための楽曲作りです。これはオーフィアス中の楽曲ですが、今はまだ形にしておりません。もう少し考えて、今書いている部分が一段落したら、来年頭くらいからかかりはじめます。

そのために、人様の曲をあれやこれやと聴いておりました。ちなみに私の耳はそう、鈍ってはいないと思っているのです。ただし、このようなところに書く場合は、表現方法を変えますので、案外違う風に伝わっているかもしれませんね。ここを見た方が、同じ楽曲を聴いてみて、判断なされば良いことだと思っています。

昨日は、ある現代作曲家の作品を拝聴させていただきました。この方の器楽曲を聴くのは初めてです。ピアノコンチェルトや、ピアノ曲、連弾曲などを拝聴しました。

連弾曲は、騒がしい曲が多く、元々ピアノのために作られたものではないのでは?と思ったら、やはりそうでした。次に、ピアノソロ(現代作品といわれる)を何曲か拝聴いたしました。ピアノソロは、無機質な感じがしました。

×ということはないのですが、何か違和感を感じました。
私の感覚では・・・自分にはないと感じられたのです。加えて、粘りというものがないので、長く聴いていられないのです。以前に記しましたサーリアホさんと歳は変わらないのに、受ける印象が全く違います。


全体を通して、長い曲は最後まで聴く勇気が出ませんでしたが、比較的短い曲は、感覚的にも受け付けやすかったです。

次にピアノコンチェルトを聴いてみました。1楽章はやはり無機質で、フィーリングが合わなかったです。でも2楽章はピアノの響きと鍵盤打楽器が溶け合ってまして、良い感じだと思いましたし、何が言いたいかわかりました。3楽章は聴く勇気がもてなかったです。

2楽章が良い感じだといっても、愛聴したいか?と問われれば、NOなのです。現代作品だからとか、無調性だから聴きにくいという意味ではありません。純粋に二回聴きたいと思えるような中毒性がないんです。これがいいのかもしれませんけれどね・・・人によっては。きっと性格もさらりとした癖のないかたなんだろうな?と勝手に思いました。

でも・・・私がしばらく音楽から離れていたために、耳が鈍ってしまったのかと思い、作曲家として高い水準(世界的水準)にある人々の、批評を拝見しました。また、一般の方で、この作曲家の作品を生で聴いた方の批評も拝見したところ、私の受けた感覚と同様でした。→特に作曲家の方は、鋭い言葉を投げつけておられましたが、ここには書きません。

私は、数十年前の大学の提出作品のような感じを受けました。その時とほとんど変わっていないような印象です。現代音楽とはこういうものですよ、という感覚です。この感覚が一般の多くの人には合うのかもしれません。しかし、音楽以外でも、クリエイティブな仕事をしている人は、ジャンルは違えども、今という時間の感覚からかけはなれているように感じられるのかもしれません。

みなさん、かなり正直な気持ちを書いておられました。

80代でも現代的な印象を受ける方もいますので、年ではなく、心の持ちようや、いかに新しい風に触れるかということが、大切なのだと感じました。私も、いつも新鮮でいるために、常に刺激を受ける必要があると、肝に命じました。それは積極的に、多くのジャンルを耳に入れるということなのでしょうね。これじゃなければダメ!というのが最も危険だと思いました。

全体を通して、全てがセピア色の感覚で押し通しているので違和感を感じたのかもしれません。古いことを愛する方、音楽をお勉強と捉える方にとっては、合うのかもしれません。

ちなみに私は音楽はお勉強だとは全く思っておりませんので、考えが違う方だと根底から合わないことを思い知りました。ようやく合点がいきました。>さまざまな面で。 過去の苦難(教育用作品で辛い思いをしたこと)も根底から感覚が違うことと、時間のずれからきていたんだなぁ・・・と気づかされました。何か心が晴れたような気持ちです。

今になって、誰が悪いということもなく、もっているものの違いから生じたことだと強く思いました。表向き、音楽活動から離れて、7年ほど(内密にすすめていましたが)経ちましたが、ようやく見えてきたものがあります。次に書く曲は、多少は自信を持って書いていいのではないか?と思い始めました。

微笑をもって生活できるかもしれません。

 楽曲分析と演奏 コメント(0)