21日土曜日の、日経の夕刊に寺田寅彦が紹介されていました。寺田寅彦は科学者であり、文学者。芸術や文学と科学を結びつける随筆をたくさん書いた人です。
「頭の良い人は頭の力を過信する恐れがある。自然現象が頭で考えたことと一致しない場合、自然のほうが劣っていると考える恐れがある。頭の悪い人はだめに決まっていることを一生懸命続けるが、だめとわかるころには、別の糸口を見つけている。自然は赤裸で飛び込んでくる人のみに、その神秘の扉を開いてみせるからである。」
これは音楽にも通じることではないかと思いました。技を習えば、何となく書けてしまう。お仕事の音楽は特に、努力すれば大概書けてしまうものです。しかし・・・これだけで今後も続けていくことは難しいのではないかと思います。
書ける人は星の数ほどいます。何か、自分にしかないモノを前面に出して、下手でも、型破りでも、本当に感じたことを身体で感じて書けたらと思います。秀才タイプの作曲家(大概大学の先生をしていらっしゃいます)は、きっとそれではだめだと仰るでしょう。
しかし小理屈でこねまわした曲は、覇気がないし、面白くないです。作っている人、演奏している人には面白くても、聴衆にとっては(一般大衆という意味ではなく、趣味があう人たち)つまらないことが多くないでしょうか?
以前からこの方針は、私の中では変わっていないのですが、作曲に携わっている人と話をすると、理屈や、上手下手の話題になってしまいます。最近、あまり関わりたくもないなぁと思っています。音楽とは別の分野に知り合いを作って、今までとは全く違う方向から社会にアプローチできればと考えています。
ところで・・
今日から新しい曲に手をつけはじめました。津波の曲ですが、過去に勉強不足だったところを補強。懐かしい曲、ペンデレツキの広島の曲(クラスター多様)、ビートルズなど聴いています。ビートルズって、なんとも不思議な曲を書いています。(クラスターを使っています。)
私は不協和音をばりばりに使うつもりはありませんが、曲の情景の一部に、クラスター的なものを欲しいと思い、聴き始めました。ペンデレツキの曲は、広島のために書かれたものではなく、あとから広島というタイトルをくっつけたようですね。
佐村河内さんはその方法をまねたのでしょう。しかし、よくご存知ですね、ゴーチさん。幅広く音楽を聴いていらっしゃいます。その点では尊敬いたします。
何やら話が別方向に進んでいますが、私は学問としての音楽ではなく、自然体でみなさんが楽しめる音楽を書いていくつもりです。自分も聴いてくださる方々も呼吸がしやすい音楽によって、楽に生きられたらと思っています。
「頭の良い人は頭の力を過信する恐れがある。自然現象が頭で考えたことと一致しない場合、自然のほうが劣っていると考える恐れがある。頭の悪い人はだめに決まっていることを一生懸命続けるが、だめとわかるころには、別の糸口を見つけている。自然は赤裸で飛び込んでくる人のみに、その神秘の扉を開いてみせるからである。」
これは音楽にも通じることではないかと思いました。技を習えば、何となく書けてしまう。お仕事の音楽は特に、努力すれば大概書けてしまうものです。しかし・・・これだけで今後も続けていくことは難しいのではないかと思います。
書ける人は星の数ほどいます。何か、自分にしかないモノを前面に出して、下手でも、型破りでも、本当に感じたことを身体で感じて書けたらと思います。秀才タイプの作曲家(大概大学の先生をしていらっしゃいます)は、きっとそれではだめだと仰るでしょう。
しかし小理屈でこねまわした曲は、覇気がないし、面白くないです。作っている人、演奏している人には面白くても、聴衆にとっては(一般大衆という意味ではなく、趣味があう人たち)つまらないことが多くないでしょうか?
以前からこの方針は、私の中では変わっていないのですが、作曲に携わっている人と話をすると、理屈や、上手下手の話題になってしまいます。最近、あまり関わりたくもないなぁと思っています。音楽とは別の分野に知り合いを作って、今までとは全く違う方向から社会にアプローチできればと考えています。
ところで・・
今日から新しい曲に手をつけはじめました。津波の曲ですが、過去に勉強不足だったところを補強。懐かしい曲、ペンデレツキの広島の曲(クラスター多様)、ビートルズなど聴いています。ビートルズって、なんとも不思議な曲を書いています。(クラスターを使っています。)
私は不協和音をばりばりに使うつもりはありませんが、曲の情景の一部に、クラスター的なものを欲しいと思い、聴き始めました。ペンデレツキの曲は、広島のために書かれたものではなく、あとから広島というタイトルをくっつけたようですね。
佐村河内さんはその方法をまねたのでしょう。しかし、よくご存知ですね、ゴーチさん。幅広く音楽を聴いていらっしゃいます。その点では尊敬いたします。
何やら話が別方向に進んでいますが、私は学問としての音楽ではなく、自然体でみなさんが楽しめる音楽を書いていくつもりです。自分も聴いてくださる方々も呼吸がしやすい音楽によって、楽に生きられたらと思っています。
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