制作日記~Kaoru Mizuki

2017 11
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環境(型から抜け出すことの大変さ)
オーフィアス組曲、書き進めています。曲数は多くはありませんが、一曲一曲の独立性が高いために、エネルギー消費が大きく、疲れます。合唱ですが、1曲はほぼ全部がスキャット、もう一曲は祀りのための曲。二曲とも歌詞はほとんどありません。

作っていて思ったことですが、一つのジャンルでだけ活動していると、その方法から抜け出せず、身体に染み付いてしまっていて、取っぱらうのが容易ではないのです。現在は10年以上も続けた教育用の作品から完璧に足を洗っていますが、型にはめる考え方が少々残っていて、払拭するのに難儀いたしました。

スキャットの曲の前にメロディで押して行く曲を作っていたのですが、前にやっていたジャンルに引きずられている傾向がありました。環境というのは恐ろしいものです。一カ所に長いこと留まっていると、知らず知らずのうちに、感化されていくものです。特に前いた環境は、どちらかといえば音楽を理屈で考えるところ(仕事上では手際もよかった部分もありましたが)また、こうやるものであると、型にはめる仕事でありました。こういった慣れれば楽な書き方を続けていると、いつの間にか染み付いて狭い人間(小さな人間)になっていくのだ、と今になっておもいます。

全く勉強にならなかったわけではありません。今の作品にも、エッセンスは生かしている部分もありますが、方向性が逆なのです。以前は、型が決まっていて、それからほんの一音でもはずれると、悪い曲になるような書き方でした。割り切っていましたが、割り切れない部分があったのでしょう。いつの間にか、この書き方が自分の中での王道となっていたことに気づいたのは、やめてから数年経った現在。ここ2週間ほどで、かなり苦しみ、足枷を全体の9割くらいはとったところだと思います。足枷は壊れていますので、あとは完璧にはずして、処分するだけといったところですね。

他に・・・

2013年ほとんど作曲というものから離れていたために、元に戻すのが大変でした。一柳先生が新聞のコラムで、「毎日作曲をやっています」とお書きになっておりました。先生のような天才肌の方でさえそうなのですから、私などは毎日少しでもやらなければ、後退するばかりです。休んでみて、取り戻すことの大変さを噛み締めつつ、新たな発見もあり、前に進んでいます。

逆に・・・
1年間音楽から離れてみて、大局的な見方をすることができるようになったかもしれません。今の時代は、世界的にみて音楽中心ではないと思います。音楽のみで人に聴いてもらうことは難しく、たとえば何かを勉強したり、何かメインがあって、添え物としての音楽だと思いますし、そちらでなければ一般の方々は理解できないと思います。

もちろん、音楽メインでなければ楽しくない人々もいて、それはそれであっていいのですが・・・目指す方向性の違いでしょうね、これは!

佐村河内=新垣事件のとき、音大で作曲を教えるプロフェッサーが、諦めたように「この国では、物語がなければ聴いてもらえない。」と書いておられました。残念な気持ちもわかりますが、私は心の中でクビをかしげました。聴いてもらえない曲を書いて満足なのか?という思いです。曲は聴いてもらって、価値が出るのではないかという、以前から考えている思いが再びわき起こってきました。

この思いは、私が大学入学したときにも感じたことでした。大学で書いているような曲を世間一般にそのままもって出て行っても誰も聴く耳をもたないと思いました。一般の人にある程度わかる曲を書きたいという思いは失っていません。それでいて売らんかなではなく・・・思いを共有することができたらと考えたこと、今も変わりません。

書いているうちにつらつらと思い浮かぶことがありまして、次回もそんなことを書けたらと思っています。






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