制作日記~Kaoru Mizuki

2017 10
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得手 不得手
曲、書きすすめております。鉛筆をもつまでの時間の長いこと。みなさんはどうかわかりませんが、書いているうちに、当初の予定とは違ってきたり、新たなインスピレーションが湧いたりしませんか?私はかなり予定変更が多いかもしれません。→商業的作品はのぞく


タイトルにありますように・・・
どんな作曲家でも得手、不得手があると思います。すべてに通じていることはありえない。逆に全部が得意だったら、何の個性もないと思います。

過去の偉大な作家をみていても、それぞれの特徴があり、良いところの陰には悪いところがある。それが魅力なのかもしれません。

大概メロディを書くのが得意な人(歌向き)は器楽の曲はぱっとしないと感じます。中でも、大衆的なメロディ、芸術的なメロディとは相対するもので、その両方に通じているなんてことはあり得ない。それなのに、わからない人は、すべてに良き結果を求めていきます。

大衆路線、アーティスティック路線というのは、環境や生まれもったものの影響が大きいのだと思います。血の中に何をもっているか、それはもう理屈ではかることはできません。

他に・・・
才能にもさまざまなものがあり、お仕事としてよくできる才能と、作品を書く才能があり、器用に使いわけることは無理かと感じます。また、自分では両方できると思っていても、社会や、時代が認めなかったりしますね。

作曲も9割がた、運があると思います。生まれた時代にあった曲を書ける人、合わなくて、北斎のように死んでから名前が出ることもありますし・・・なかなか難しいものですが、運だけは確実に作用すると思います。その時期を見計らうことは、自然の流れに身をゆだねるのみ?でしょうか・・・

人によって疑問を感じられるかもしれませんが、私は人生というのは先にある程度決まっていると思っています。シナリオのようなものが描かれていて、知らず知らずのうちに歩んでいる。良いとか悪いとか、自分が決めることは無意味だと思っています。また、人生に目的というものを持つからして、悩み深くなると思います。

これは私の考えなので、読み飛ばしてもらっていいのですが・・・

演奏でも作曲でも上手な人はたくさんいます。その中から何が基準かわかりませんが、選ばれた人のみが出てくる。そしていつの間にか、ピークが過ぎて、「あぁあんな人もいたね」となってしまいます。このピークについては、人それぞれ。年をとらないと、なかなかピークにたどりつけない人もいる。

若いときに活躍できるのがいいか、年をくっておもむろに、しゃしゃりでてくるのが良いかは、わかりません。ただ、年をくっても何らかの形でやっていくには、体力が必要です。体力についても、生まれながらにして与えられていて、お役御免の年がくるまで、どなたかが支えてくださるのでしょう。

長々と書いていますが、得手 不得手ということ、人生のピーク、経済、さまざまなものが決まっていると感じます。しかし・・・何が幸せかはわかりません。わからないことだらけです。


ところで・・・

最近は伊福部先生の曲を聴く暇がなく、寝る前にスマートフォンででも聴こうと思うと、すぐに眠くなってしまいます。先生の曲は、癒しの効果があるのでしょうか?一音で眠くなったこともありました。また先生の曲は予測不能で、良い意味で裏切られます。私の考えですが、裏切りのない曲は、後の世に残っていかないと思います。

先生の曲は100年後にも残っているような気もします。100年後は世界がどうなっているか?考えるだけで愉快な気持ちになりますね。








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