制作日記~Kaoru Mizuki

2017 06
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スケッチを進めています
オーフィアスバリエーションのスケッチを進めています。年末に神経痛になったせいで、2014年内に仕上げる部分がずれこんでいますが、自分では満足のいく曲調になってきています。

仕事をやっているときは、比較的短い曲が多かったせいで、細かなスケッチは必要ありませんでした。歌や歌的な器楽曲が多かったことも理由のひとつです。(そうでなければわからない)あのころは、和声、メロディを何パターンか作り、つなぎあわせてました。

神経痛で休んでいる間に人さまの曲(西洋クラシックに加え、エレクトロやハウスなど、打ち込み系の音楽をやっているアーティストです。女性ですが、自己主張をきちんと感じさせることができる人。)を聴かせていただきました。聴いてみて、自分はもっと肩の力を抜かなければ、聴く人々が辛くなるのではないかと感じたんです。

前に仕事をやっているときは、真っ正面を向いて、書いていればよかったのですが、今回は表現活動の一環でもありますし、通用しないと思っています。

音楽は遊びと、宮之島しろ女史は演奏会のチラシにも書いているんです。

--以下〜宮之島しろ 新曲発表会 花吹雪ノア デビューコンサートのチラシより
この楽曲は宮之島しろの母、故としさんとの約束により生まれた。彼女は「おしるし」の一つとしてある旋律をしろ女史に送った。添えられた手紙には「この旋律を元にして、曲を完成してほしい」とあった。しろ女史は母の思いを汲み、宮之島家に流れる血、すなわち天空との対話能力を、曲に生かすべく、「特殊なしかけ」を曲の中に盛り込むことにした。本日は曲とともに、さまざまな変化が起きる事が予測され、それをも音楽の一部として、受け止めることが望まれている。しろ女史は、『音楽は勉強ではなく遊びである』という主張のもとに従来の枠組みにとらわれない、演奏と創作活動を続けている。

音楽が遊びであるとは、思ってもいない人々は多いようです。以前にもかなり火花が散りましたが、ピアノの先生など、音大出の先生業を主流としている方々は、音楽は勉強であると思い込み、絶対に譲らなかったです。学問であると思っている人もいます。

教材の仕事でも感じた事ですが、歌詞を生きる指針に使う。歌詞がこうだから、こう歌いましょう、と指導なさる。確かにそーいう曲もあると思います。教師が書いた曲、ほとんどなのではないでしょうか?音楽で人間関係を円滑にしようなどと思うからでしょう。

私は、歌も音楽のジャンルの中のひとつで、歌詞は添え物であるという考えです。面と向かっては言いませんでしたが、考え方を変えることはありませんでした。

いずれにせよ、しろ女史の考えを生かすためにも、まず私が肩の力を抜けるだけ抜かなくてはと思いました。自由の身ですから、遊び心を最大限に発揮して書いても、誰も文句をいわれないことを、時として忘れてしまいます。過去の習慣、過去の縛りからはなかなか解き放たれていかないものです。

年末には全ての面で解き放たれ、変化していることを、オーフィアス組曲の音楽作りを通して達成していくことができれば、幸せに思います。















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